虚弱ニートは、たゆたう謡う

通院記録と趣味、小さな幸せ、特に何もない生活の日記。

噂流れて風吹く紙

夕方からふっと気絶しそうになる症状が治まりません。

すっかり忘れていたし内容も思い出せないのですが、朝に嫌な話を思い出させられていました。

そこからどんどん不安と恐怖心が強くなって寒気がします、頭で理解していてもダメなものはダメでした。

 

乳児のミルクを力ずくでぶんどってに前掛けを瓶の中に突っ込んで浸して床にぶちまけて「もう入ってないから、ぽい」といって無表情で投げ捨てていく気味の悪い女を見てから本当に気持ち悪くて、やることが全てそういう陰湿で気味が悪い虐待でちょっと思い出すだけで吐き気がします。

ゴルフバッグ、天袋を漁っていたなど変な話ばかり聞くと思ったら家族のものを盗んでいるところで、パチンコとホストでお金を使いたいけど自分のお金は出したくないので家族のものを盗んで売っていました。

子供を無人販売所に連れて行ってはお金を入れたと言って品物を持って来させて「これはお前が泥棒した」と言って殴っていたそうです。

何をしていても表情が無いのでそれも気持ち悪かったです。

噂ってそういうものなのでしょうね、幼いころから寝込んでいることが多かった私ですがこういう気持ち悪い人を見たし知っています。

 

今はもういない、会うこともない、でも外にはそんな人もいると思うとちょっと怖い。

 

さて、音楽を聴いて香りを変えてゆっくり眠ったら明日の朝に治っていたらいいな。

幸せの数を数えよう

幼いころは身体が弱く病気がちで熱を出して何日も寝込んでばかりいました。

横になりながら見える外の世界が眩しくて、いつか楽しく過ごしたいと思っていました。

それを忘れていたから今の自分が不幸に見えていました。

 

未来を見てみたい未来はどうなっているだろう?

そこから絵を描くようになりました。

それはそのうち空想の世界になりました。

 

走り回って楽しめたことはあまりなく、長く寝込んだ時期がありました。

こんなに長生きできて未来が見られて幸せです。

なんだかすごい時代になっているのに心が暗く沈んでいました。

もっとよく見よう、もっと体験しよう、もっと楽しもう。

 

あんなものは過去、近くにいない、連絡手段もない、会わなければいい。

今の私は自分の幸せだけを見て追いかけていればいいのでした。

 

写真と思い出を飾ろう。

昔のメモ

凡人は天才になれません。

 

基礎知識は小学校までで習えます。

そこから先は好きなことを好きなことだけして異端になることが必要です。

誰とでも話が合うなんて考えないでください、専門知識に特化していると会話なんて合いません。

それで構わないのです。

 

でも私として生きるには基礎知識だけでは足りません。

天才が考え出してくれた技術を工夫して使えるように考えの幅は持っておきたいです。

 

ですが無理をする必要はありません、時間をかけて無理やり手に入れても天才が一飛びに先に消えていきます。

 

学生、サークル、SNS狭い世界にいると天才と自分を比べて自分を高めなければいけない気がしてきますが、私にはそんな必要はありません怠惰に生きていいです。

 

失敗したことは覚えて二の轍や二の舞を踏まないようにしようとか言います。

覚えていても何の役にも立ちませんでした、眠って忘れましょう。

私は成功したことだけ覚えてその軌跡を辿って成功すればいいだけです。

 

何の為に生きているのか考えます。

私は自分が幸せになる為だけに生きています。

 

天才は何だって知っていて凄いです。

私は聞きたいことだけ聞いて、得たい知識だけを得ます。

 

バカだと人に笑われました、バカなのにお前の前に同じように立っていて凄いです。

 

出来ない知らないわからない、頑張ることなく他人に頼みましょう。

 

最低限暮らせれば人に罵られようが何でもいいです。

殴ってくる人はまずいませんが危うくなったら金でも何でも投げつけて逃げましょう。

 

 

これを書いたときの気持ちが大切です。

祖父は言いました。

「何か起きた時は何よりも自分の命、命が大事だ。みんな自分の考えを持っていて自分でどう行動するか考える。お前が考えて助けようとしてやる必要はない」

 

これからもそれだけ考えて生きよう。

恐怖を消す

今朝も怖い話を連続で考えてしまってどんどん時間が過ぎていきます。

患っている病気が原因だったりするかなと考えてしまいましたが、今のところ悪化はしていないし記憶とは関係がないはずなので普通と変わらないはずです。

どこかに明記しておく必要があるかなとも思いましたが、自分の目に触れるところに書きたくありません。

そのうち字が書けなくなって終わる日が来るけれどそれは誰だって一緒です。

 

そんな状態ではあるし不運な出来事にも見舞われていたけれど今の私は何にも困らず平穏な日々と人生で一番幸福なはず、今までに得た知識からするとそうなんだ。

でもSNSで目に付いたもっと早くから幸福な人と比べてしまっています。

 

そういえば2週間くらい悩まされていた工事の音が今日は止まっていました。

聴覚過敏でもあるから辛かった、これで少しは心も体調も落ち着く可能性があると考えると少し楽になれました。

音に対する緊張感からとめどなく喉が渇き、肩というか全身がこってしまい、血流が悪くなって目は痛い、胃が動かなくなって食欲はなくなる、栄養不足も相まっての頭痛、他色々。

即刻治るものでもないので、しばらくお休みです。

 

楽になったらいくつかの光景を思い出しました思い出しました。

本に写真を挟んで密やかなアルバムの代わりにしている人、写真立てで飾っている人、壁に大量の思い出の写真と品物を飾っている人です。

恐怖心が募る今の私の症状にそういうものは効きそうなので飾ってみることにします。

その辺にいっぱいいる

地震とは関係ないタイミングで束ねて置いてあった昨年描いた絵が降ってきました。

ドサッという音がなぜか怖くて寒くなって、頭の中の嫌だったこと嫌いだったものなどの箱が開いてしまったようで意識がそこに引きずり込まれていました。

好きな音楽を聴いて、外れていたピースがはまって一息付けました。

 

そのピースは

そんな人の形をした生き物がこの世に存在するわけないと私の心が拒否しますが、良心の欠片もない邪悪な人でなし、それを目撃し被害にも遭ったこと。

乳児を幹線道路の真ん中に放置して助かったら「なんでで帰ってきたんだおい!」と殴りつけていました。

強盗、踏む蹴る殴る車道に突き飛ばす階段から突き落とす、手近な服や荷造りロープで絞めてくる。

ありとあらゆる邪悪なことをして、邪悪なことを思いつくと鼻の下を伸ばす癖がある。

あれには今後何があろうとあんな凶悪犯には絶対に近づいてはいけない。

犯罪に結びつき易い底辺の単語の羅列しかない人生を送っていて理解できない。

 

私の日常とは全く関係ないためについ抹消してしまう。

でも存在したし、まだ存在している。

 

選ばれた存在で強くて賢いと考えているらしいが、一族に見限られて卑劣な方法でしか手を出せず言葉も思考も幼児に劣る。

心のままに動いているというが意味不明で実利がない、足らない。

場当たり的だから犯罪歴多数、当たり前のことをしているのに反省するということの意味が分からないと本人が言っている。

 

いらない、ニート以上に要らない。

 

私は社会不安症というよりPTSDかもしれませんね。

 

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